愛と光と奇跡と

「奇跡のコース」を実践してみます。

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レッスン10 わたしの思いには、何の意味もありません。


わたしの思いには、何の意味もありません。

 「わたしは何も知らない (『奇跡のコース』のワークを学ぶガイドブック1)」
   香咲弥須子 (著) ナチュラルスピリット(発行)


レッスン7までは、ブログを読んでる方も、一緒に学べるような構成にするため、ぼくが読んでいる本(香咲弥須子さんの本)の内容を抜粋する形で、あれもこれも書いていましたけれど、それはなかなか辛い、ということで、レッスン8から自分目線の内容に変更しました。

今回からは、それらの代わりと言っては何ですが、ナチュラルスピリットさんのページへのリンクを貼っておくことにしました。トップページへのリンクではなく、各レッスンへの直リンクです。リンク先のページを読めば、本で得られる情報は、基本的にほとんど得られるようです。このようなページを無料で掲載されているナチュラルスピリットさんに感謝します。(こちらのサイトを利用すれば、ぼくがあれこれ説明しなくても、というかあれこれ説明するよりも、レッスンの内容がわかると思います(笑))

なお、リンク先のページは、大内博さんの訳なので、香咲弥須子さんの訳とは(表現内容などで)異なる場合があります。ぼくは、香咲弥須子さんの著作をメインにしてレッスンを勧めていますが、ぼくも、今後は、出来るだけ、両方、目を通すようにしたいと思います。

リンク先はこちらです。

 株式会社ナチュラルスピリット編集部さんのページから
 レッスン10へのリンクです。
   http://ameblo.jp/acimworkbook/entry-10760339020.html

あ、これで、「なんだ、ナチュラルスピリットさんのページを読めば、hamのページなんか読まなくていいじゃん!」って思ったとしても、たまには、読みにきてくださいね(笑)

さて、本題です。

レッスン9では、般若心経の「照見五蘊皆空」を引用して、自分の見ているものが、ありのままではないことをお釈迦様の言葉に重ねて解釈してみました。自分が見ているものは、実は、現在のありのままの姿なんかではなく、過去の情報の蓄積から積み上げた個人的な思い=過去、でしかなかった、ということです。

何かを正しくみるためには、今のありのままの状態を観なければなりません。ですが、過去を切り離して、何かをみるということは、とても難しいことです。多分、100%、それを行うのは、通常の状態では不可能だと思います。ですが、その何割かをカットすることは出来ますね。特に、一般的には、偏見と言われている部分は、スピリチュアルの気付きの有無に関係なく、誰もが外すことが出来るはずですし、最初に外さなければならない部分になると思います。

ぼくが精神世界に入ったばかりの頃、これら偏見を含めて過去の蓄積した情報は、フィルターとして表現されているのをよく見かけました。フィルターではわかりにくければ、色眼鏡でもいいです。自分の想いを通してみると、大好きな女の子なんか、ピンク色に見えたりするじゃないですか(おれだけか?笑)あれは、全くありのままではないですよね。

で、ありのままに観るためには、フィルターを外さなければなりません。ところが簡単に外れるものではありませんし、フィルターは何枚も何十枚も付いていますから、1枚外せばそれで終わりということにもなりません。最近では、一生かけて、何枚外せたか?が魂のテーマではないのか、と思ったりもします。

で、この奇跡のコースのレッスンは、まさにこのフィルターを外す行為なのだと理解しています。ありのままを見るためにフィルターを外すレッスン。般若心経でいう「皆空」であることを実感するレッスン。

レッスン10では、以前、どこかで聞いたようなアイデアが出てきました。レッスン1ですよね。

レッスン1
「わたしが見ているものには、何ひとつ意味がありません。」


レッスン10との違いは、外側(物)か内側(思い)か、という違いになると思います。

あ、ほんとは、奇跡のコースは、ひとつひとつを解釈せずに、淡々とレッスンをこなしていくのだ、ということをどこかで読んだような気がしますが、今日は、とても対比しやすい部分なので、書いてしまいますね(笑)

ぼくらが見ている「物」にも「思い」にも、何の意味もないっていうわけです。どれもこれも、過去を見ているだけで、現在のありのままではないのだから、何の意味も持たないってことですよね。

目の前に、苦手な人が現れました。なるべくなら、会話もしたくない相手です。

でも、その判断は、過去の情報の蓄積からの思いでしかないわけです。その思いは、見た目にも影響を与えているかもしれません。ああ、なんてふてぶてしい顔をしているんだ、とか、奴の持ってるバッグは気に入らない形をしているな、とか(笑)

そういうのは、どれもこれも、今現在のありのままの状態を見ていないことになりますから、よって、何の意味もない、ということになるわけです。

もっとも、意味を授けるのは、本人だ、ということになると、本人にとって(のみ)は意味のあることになりますが、真理としてみれば、やはり、何の意味もないことになります。

誰から見ても、同じに見えるのが真理ですから。

さて、過去を通してみた思いが何の意味も持たないことを心底納得すると、一体何が起こるのでしょう?素晴らしいことが起こります。この言葉は本文から引用しますね。

「わたしはこのアイデアによって、今抱えているすべての思い込みから解放されます。」

過去の記憶を通した思いは、なんにせよ、思い込みなんです。たとえそれがどんなに正しく普遍なことに思えたとしても、過去を通して見ているうちは、思い込みに過ぎません。本来の姿は見えていないのです。見えているのは、本来の姿を過去で照らして見えた影でしかありません。そこに気付いて、今のありのままの状態だけを見ようとすれば、過去を切り離すことが出来ます。過去を切り離す=思い込みから解放される、ということです。

会話もしたくないような苦手な相手とは、実は、過去で照らした本来の姿の影だけを見て、そう思い込んでいるだけです。決め付けているとも言えます。そんな思い込みは手放してしまいましょう。というわけですね。

もっとも、これは自分にとって、悪い思い込みだけでなく、良い思い込みにも適用しなければなりません。例えば、恋愛しているときに、相手に抱くイメージは、思い込みですから、本気で奇跡のコースをレッスンするのなら、そういった部分も、ありのままではなく、思い込みであることに気づく必要があります。

でも、恋愛のほとんどが思い込みで出来ているとしたら、恋愛は成り立たないのではないのか?という疑問が生じます。で、それは、その通りのようで、香咲弥須子さんも、別な本(『奇跡のコース』を生きる実践書)にて、奇跡のコースをやり遂げたら、めくるめく恋愛は出来なくなります、と仰ってます(笑)

めくるめく恋愛がなくなるのなら、レッスンしなくてもいいや、と思う人もいらっしゃるかもしれませんが、めくるめく恋愛は、必ず終わりが来ます。(そうでない場合は別にして)でも、奇跡のコースを適用した恋愛は(恋愛と言っていいのかどうかわからないけど)永遠です。だって、普遍の愛で相手(の魂)を思うのですから。終わるわけがありません。限定的な愛の形である「恋愛」から無条件の愛の形に発展させるためには、奇跡のコースのような、或いは般若心経のような、ありのままの姿を観ることが絶対条件になるのだと思います。


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